昭和45年10月23日 朝の御理解



 御理解 第64節
 「此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路のところを参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。」

 此方は参ってたずねる所がなかったと。ですから只神様仏様と、ま御信心は根っからのま、いわばお好きでおありになった教祖様のことですから、どんないわゆる俗信仰も随分なさった訳でございますね。それは参って尋ねる所がなかったからなのです。只拝み只祈る、そういう事だけが神信心だと、思うて居られた時代があると云うことです。いわゆる片便の願い捨て、只何処へ参っても、願って来るだけの事でおありになったと。
 氏子はおかげを受けて遠路の所を参って来るがとこう、みんなはやはり遠い所から参って来るが、信心して徳を受けてみしのぎをするようになれとこう言うて居られます。ですから、遠路の所を参って来るが信心してと言うて居られます。まあここで信心してと仰るのは、どういう事かと云うと、いわゆるお道の信心をしてと云うことになるわけですね。過去御自身が何々様、何様と云うて拝んで居られたそれとは違う。
 はっきりそこに天地金乃神様を対象とするところの信心、ね、いわゆる天地を相手とするところの信心。ここではだから、信心して徳を受けてと云うのは、いわゆる天地金乃神様の御信心を頂いて私どもは金光様の教祖様の御取次を頂いて、そしてお参りしてお尋ねするところをお尋ねし、教えを頂くところは教えを頂いて、天地の徳を受けてみしのぎをする様になれとこう仰って居られる。ね。
 そこで、なら私ども金光様の御信心をさして貰って居る者が、信心して徳を受けて身凌ぎをするようになれと仰せられるが、それ程しのおかげを受けて居る者は極少ないのではないかとこう思います。みしのぎの出来る程しの信心を頂いて居ると云う人はもうほんとに少ない。みしのぎと、ね、いうなら、だあれにも縋らん、だあれも頼らん、ね、只縋るところは一心に、ね、
 金光大神の御取次を頂いて、天地金乃神様一心にお縋りをすると云うこと。ね、そしてそこから受けて来るところの現れて来るところのおかげを頂くようになると云うことがみしのぎをすることだと私は思います。ね、身凌ぎをすると云うことはその様なことだと、ね。一心に縋る。ですから金光様の御信心を頂いておりましても、いわゆる参って尋ねるとか参って教えを頂くとかと申しましても、それがみしのぎが出来ることの為の過程であって、ぎりぎりのところはみしのぎが出来る様な、
 いわゆる身に徳を受けてみしのぎが出来るようなおかげを頂く事だと思うのです。なら、みしのぎと云うことは自分で自分の事は出来ると云う様な意味にもなりますねえ。云うなら神様にいちいちお伺いをしなくても、先生に例えばお伺いをしなくても自分で神様とのいわば直結とでも申しましょうか、神様からいろいろお知らせでも頂ける様になると云う意味にもなりますね。
 けれどもならそれだけではいけん。やはりみしのぎと云うのはそれだけの事が出来たらそこに生まれて来るいわゆる信心。小さいことなら任せられるけれども、大きな事にはその神様が言うて下さることでも半信半疑であったり、任せきらないと云うのでであっては私はみしのぎと云うことにはならないと思う。此方は参って尋ねる所がなかった。成程それ故になら何々様、何々さんと云うて拝まれた。
 お四国参りもなさった。お伊勢参りもなさった。近所近隣にある宮寺はもう教祖様がお参りにならん所はない程しであった。もうそれは薮神小神の前を通られてもやはり手篤い信心の対象に全てがそうであった。ね、それは御自身もやはりよくは分かって居られなかったからです。拝みさえすりゃええ、ね、只もう何処々のさんにお願いしとる、あすこにもお願いをしとる、やっぱそうした方がよかろうごとある。
 やっぱ気が致します。ね、ところが、段々信心の徳を受けられて、天地金乃神様との教祖様との関わり合が段々深くなられて、ね、天地金乃神様からも御信用を受けられ、又天地金乃神様のおかげを受けなければ立ち行かんと云うことの、いわゆる真実を分かられたところからです、参って来る氏子にその事を説き明かされた。ね、それが天地の御恩徳であり天地の道理である。
だから、そういう天地の御恩徳の中に生かされて生きて居ると云うこと。そこには天地の道理、天地には天地の道がある。ね、その道をいわば行じて行くすべと云うか、ね、天地の道理に合うた生き方を教えられた。ね、そういう事を教えられて、それを行じて行くところから生まれて来るものが私は真の信心だとこう思う。氏子は遠路の所を参って来るがとこう、折角遠い所から時間を欠いで参って来るのであるから、ね、
 折角お参りをして来るのであるから天地の御恩徳をよりよう分からせて頂いて神恩報謝の生活に入れ、天地の道理を聞かせて頂いて道理に合うた生き方、生活させて頂き、そこから神徳が受けられるんだと、その神徳を受けて行くことに依ってみしのぎが出来る程しの信心を頂けと云う訳なんです。だから本当のみしのぎが出来ると云うことは、どの様な場合でも、いうなら誰のお世話にもならないでよいと、誰に縋るとか頼るとか物にとか金にとか縋るという心はなくなって来るわけですね。
 身しのぎと云うのは、神様に一心とお任せしきった生き方、純粋なそういう信心、それがやはり徳を受けなければ出来る事ではないとこう思うのですねえ。平穏無事の時は何でもない、お縋りしお任せきって居るようにあっても、さあこと何かと云うことになるともう神様だけでは物足らない。これではみしのぎにならない訳ですよねえ。神様にお願いをしてああする、神様にお願いをしてこうすると云うことになる訳です。
 神様にもお願いをしながら、あの人にも頼りこの人にも頼ると云う訳なんです。ね、だからそれがまた過程ですからね、例えて云うと、またの御理解に「祈れ薬れにすればおかげになるが、薬れ祈れにするからおかげにならん」と仰せられるところがありますよね。例えば、病気を致します。ね、ですから今申しますように神様お願いてお薬を飲む。神様にお願いをしてお医者さんに診て貰う。
 そういう生き方になればおかげも早いが、ね、慌てふためいて頼る方を先にして人に、そして神様の方を後回しにするような事ではおかげにならんとこう断言して居られる。おかげにならんと云うのは病気が良くならんと云う意味じゃないです。もういよいよ神様が下さろうとするおかげに近づくことが出来ない、神様のおかげを本当に受ける事が出来ないと云う意味なんです。
 けどもみしのぎをすると云うことになるとです、もうそこにはね、もう神様一心、只純粋さがあるだけと云うことです。もう貴方一心、そこには薬もなからなければ医者もない、貴方一心。そこにね、真の道がついてくる。天地の道理を分かるとです、ね、御神徳を受けてくると私はそうすることが本当だと云うことになって来ると思うですね。昨日高橋さんが今又、今度新たなお店を開かれるわけですが。
 そのことの為にもう一から十までのいろんなお伺いがあります。例えば冷蔵庫を一つ作るでも調理台一つ作るでもどういう形にしてどういう風にしてと云うてお伺いがあります。先日もなんですか冷蔵庫のね、下の方を冷蔵庫にして上の方が調理台になる様になるように長いその冷蔵庫を作ることを頂かれてそうして決めて居られた。ところがよくよく考えさして頂き、頂くとちょっと便利が悪いところが出て来る。
 そこで、大体そう致しますけども、一とこには普通の高いその冷蔵庫を作ったらどうであろうかとこういうこと。そすと又他の冷暖房だったでしょう何かその事をこの頃からお伺いになって居られたら、こうしたらよかろうかと云うことであったから、こうするところになっておったところが大変値段の安い所から云うて来た。だから又改めてお伺いされたら、やはり高い方一番初めに御神意を頂いた通りに高い方がよかろうと云うことであった。それをだから神様はその一番初めから任せ切りにさせられたんですね。
 ところが、次のお伺いにはどういう事かと云うとですね、そんなら使い勝手が良いように長いその冷蔵庫も作るが、いまあんたが長い冷蔵庫と同時に高い方の冷蔵庫もその作ったらよかろうとこういう事である。そこにはね、もうだからこの前に頂いた通りに長いとにしろと云うことではなかったのです。そういう二つの例えば例がおんなじお伺いの中にもあった。それはどういう事かと云うとね。
 私が御心眼に頂きますのは、蓮根を一本こう頂いた、蓮根。蓮根の一番根のところになりますかね、小さくなってます。あすこのところはまあがめ煮ぐらいには使えますけれども、大体こう筋があったようにしていけませんからね、そこの例えて云うと一番下の小さい所から一つの節になってもう黒い節がありましょう、だからそこのところからプツっと切って、いうなら大きな蓮根の所。
 大きな所から使うがよかろうと云うお知らせを頂きましたから、だから前に頂いて居られたことが長いのだけれども、こうしたが使い勝手がよかろうごとあると云う、これは人間の考え、だからその人間の考えも入れられて、ここは勿体ないけどそのかわりスパッと切って捨てるとか、しかしここは大したところではない訳です。ね、黒い節の上からを切って云うなら神様が云うなら蓮根喰うて下さると。
 まあ神様任せと言いよるけれども、こりゃ神様が言いなさるとより自分の思うとの方が便利のよかあごとある風に思うとるから蓮根喰うて下さってと云う意味もあろう。その下の方の小さいところは切って捨てて、それから上を頂くようにと只二つの事でも初めから指し示されるところがあるかと思うと途中から切ってならよかとこだけ頂けと云う様なことにもなるわけです。
 私どもの信心を進めて行く上には、だからほんとにそういう様にま徐々にね、神様を頂かせて頂くと云うてもいわゆるみしのぎの出来ることの為の徳を受ける為にまあ徐々に色々と教えて下さって確信を以っての神様に接する、対するところの信心を教えて下さる訳なんです。昨日の朝、毎朝小野病院の院長であります小野先生が毎朝参って参ります。昨日自分の事をお届けをした後に、「先生にお伺いがあります」と。
 「どういう事ですか」ち言ったら「実はここの幹三郎君の事ですが」とこう言う、三男のことです。あちらは西見病院の方はご兄弟ですが、西見病院の方から昨日電話が掛かってきた。あちらからも学生会に入って居りますから何時も行ったり来たりして、まああすこに行くわけです。ところが西見病院の先生、内科ですけれど、その金光様から何時も来る幹三郎のことを云うてですね。
 あれはどんなに考えてもどんなに見ても又聞いてみてその症状を聞いてみると、もうこれは絶対肉腫癌だとこう。だから金光様は医者に掛かっちゃならんかなんかそんなこつか、とにかくお前が毎日参っているから先生に一辺注意しておけと云う意味なのである。肉腫癌と云うのは全然この自覚症状がないんです。痛まない、どうもないのです。ね、だから長い間あちらに行ったり来たり子供達がしとりますから。
 先生がそれを心配して小野先生にそれを電話が昨日の朝掛かって、昨日の朝ですからその前の日に掛かってきた。だかからその事を先生どういうものですかと、だからどういうものということでもないよ。別にどうち云うことも無いけれど、私はまあ返事のしようがなかった。神様にお願いをさせて頂いての事だから、まあ本当の事をぎりぎり言うとこれは私の生き方ですけれども、ね。
 もしそれで死んでもいいと私何時も思ってるんですよ。冷淡な言い方ですけれどもね。神様にお願いをし、お縋りをして右になり左になることは問題ではない。ね、その事を通してほんとの信心を頂きたい、ほんとのものを頂きたい。ね、まあ云うならばお金の、お金さえ儲ればどんな事でもすると云う人がありますようにね、私はここで云うほんとに身凌ぎの出来る様な、神徳を受ける事の為なら何を犠牲にしてもよいと私何時も思うんです。
 まあ云うなら徳の亡者ですよね、私は。まあその事についてまあ色々の事を小野先生に聞いて頂いたんですけれどもね。それからね、昼過ぎに裏に下がって居りましたら、その前にもあの学校から掛かってきたそうです。それも二度目に上野先生が受けております。まあこげなふうで、その誰か幹三郎君のそれこそ一生一代の大事なことで御両親と御相談がしたいからすぐに来て呉れと云うことであったらしい。
 けどもこうして奥様は大分の方へ行って居られます。それから親先生は具合いが悪くて休んでおられますとこう言った。そんなら明日でもよいから出て来て呉れと云うことであったけれども、又すぐ後に電話が掛かってきて、お父さんが休んで居られるなら起こしてからでも電話口に出して呉と云うことであった。そしてその上野先生に先生が言われることはね、二十六日から修学旅行が始まります。
 それで全校の者が、田主丸の熊谷内科に全部診察に行った訳ですね。そしてその幹三郎君をその診たところが、やっぱり医者の見立てで云うともう先ず九分九厘肉腫癌だと。とてもとても学校に行くちゅうことも大変な事だが、旅行なんてとんでもないことだと。だからどうでも九大なら九大に、九大と言われましたね、で、そげんじゃったかね、に行ってそのほんとの本格的な診察を受けて。
 まするようにと云う事でありましたそうです。それでまた上野先生がまた私の所へやって参りましてから、あのどうしても電話に出てくれと云われるからと云うので電話に出ましたら、その受持ちの先生、担当の先生だったようでした。それでそのどういう事を言われるかと云うと、まあそういう病人をですねえ、何時どういう大変なことになるやら分からない病人を連れて行くと云うことをまあ心配される訳ですね。
 私はまあその前々日でしたか、その旅行積み立てをしております不足のところを金額を持って行かんならんと言うて、まあ楽しんで居るようでございましたから、本人も楽しんで旅行と言うて居りますから、あのう出来るならば私は本人任せですけれど、出来るなら連れて行って下さい。そしたらその言われることがですね、そんならまさか万一の時の責任はですね、お父さん貴方が取って下さいますかと。
 そりゃ勿論先生にその責任など、勿論親の私が取ります。そんならその事の一札を入れて頂きたいと云う事であった。そりゃまあ幹三郎が行きたいと楽しんでおる事で、行きたいと云うなら一札も入れも致しましょうと言うて申しました事でございました。その時にですね私はねもう本当にその今も申します様に小野先生からそう言うて。昨日初めて小野先生幹三郎君のことをお届けされましたんですけれど、その時には別にそう感じなかったけれどもね、その昨日丁度二度そうしてお医者さんからですね。
 西見先生、小野先生。またそれから熊谷内科の先生が診て、医者から診てこうだとこういうこと言われてですね、丁度私はもうあの中島の上滝さんが、あの様におかげを頂いて、それがあのあっと云う間に亡くなられた時にですね、大和さんのお父さんが朝私が休んで居るときにお届けに見えました。そしてあの上滝さんが亡くなられましたと言うた時にですね、私は寝巻のままね、もう一番口にずうーっと私は便所に入ったことを覚えて居ります。もう心がね、動揺したんですよ。
 それで便所の中で金光様金光様と一遍心を落ち着けてですね、また出直して、なんの大和さんと言うて、大和さんから改めて聞かせて頂いたら、こうこうで亡くなられたと云うことでした。もうそんな風ですから、やっぱ二十年近くなりますか、もうほんとに二十年振りに私は心がはっと云うくらい動揺致しましたですねえ。やはりまあ詰まらんなあ、自分の信心はこん位のことだと思うたんです。
 但し、又人の子の親でやっぱしありますからね私も。私のすぐの弟が肉腫癌で亡くなって居ります。だからやっぱりめぐりと云うか、そういう事もあるだろうかと思わせて頂いて、私は大体普通はね、あの皆さんもご承知の様に御神前には出ないのです。けれどもやっぱり便所の中には行きませんでしたけれどね、すぐ御神前に出ました。御神前に出らした頂きましたらね、はぁほんとにね、この事でね又一段と信心が頂けると思うたです、私一番口に。
 今まで出来なかった信心が出来ると思うたです。そうしましたらね、幹三郎君その事はね、もう非常に軽ういものになりました。云うなら心配とか不安とか胸がドキドキするような動揺と云うものがなくなって、それよりも増した有難いと云うものが非常に強くなったです。ね、私昨日も申しましたように、あの反省会が終わって久留米に買物に出た話を致しましたね。そん時に私はあのここで御神前で只今から買物に参りますからとお届けしました時に頂いたのが幹三郎のことでした。
 何の為に幹三郎との関係があるだろうかと思うて、それからデパートに参りましてね、デパートでもう滑り込みの様にしてデパート参りまして、売り場にまいりましたら、一番口に目についたのが今私の控えに置いてありますあれは慈母観音というでしょうかね、備前焼きのそれは見事です、見事な観音様があの子供が、その小さい子供が観音様の方を向いて手を合わせてこう縋って居ると云う人形が一番目に付きました。
 あらこれを買わせて頂くのかなあと思うてですね、またお願いさして頂きましたら又幹三郎の事を頂くんですよ。そして私御祈念中に思いました。ははぁこの事だったなと、もう今迄そりゃ沢山の人から医者はどうかとか、お前がとは癌じゃないかとか随分言われたらしいですけれども、僕は云うならば信心でおかげ頂くと云う云うことはどういう事かと云うとね、只お父さんの信心を信じて居る。
 神様は分からんのですから、只お父さんを信じて居るそれだけしかなかった、彼には。私はそれで思いました、ほんとに子供にね、もう命までもとこうやって信じ切られて居ると云うことはなんと有難い事かと思うたが、そう信じきられておるお父さんが果してどうなのかと云うことなんです。信じきられて居るもうそれこそね、もう高校二年生になりゃ分かるんですよ。癌がどういうものかと云うようなことは。
 それでももう神様にお縋りをすると云うことよりもお父さんにお縋りをする。お父さんが右だと言やぁ右、左とと言やぁ左、何時も任せきってあると云うことなんです。その任せきられ信じきられておるお父さんの信心が果してどうなのかと自分自身に自問自答した時ですたい、ね、次々とならお医者さんからそういう関係でお話を聞かせて頂いて、二度目に聞いて上野先生がその事を先生から聞かれて、ね。
 だから旅行にも連れては行かれない、もし連れて行って呉れと言われるならば一札お父さんが入れてくれと言われるところまでのとこを聞いた時にです、私の心はもう何十年振りにちょっと動揺したですね。だからこの位のことだなあと思うた。けれども御神前に出らして頂いたらです、この事に依って今迄出来なかった信心が出来るなと思うたら、信心が出来る事の方が有難かった。これはもう真実またそうなんです。ね、
 同時にならその慈母観音じゃないですけれどもです、ね、お父さんに命までも預けて居ると云う程しに親を信じて居ると云うことなんです。ね、それは有難いが信じられておるお父さんがどうなのかと思うた時に、動揺して居るこんな自分はとこう思う。だから心も平生になって居りますし、ね、有難いことだと思うて、又控えに下がらせて頂いたら丁度新聞が来ておった。
 新聞を開かせて頂いたら一番初めに私の心の目に写ったのは何かと云うとね、井戸の中から何ちゅうかね、庇素検出と云う見出しが大きな見出しが出て居るそこを頂いた。ね、いわゆる私の信心の中からです、私の信心の中からもうこれ程しに神様を信じきっておる、これ程しにと言うて居るけれどもです、さあいよいよ息子のことの死ぬか生きるかと云う程しの事になってくるとです。
 まだ動揺があると、云うことはまだまだ井戸の中から庇素を検出するようにもっともっと深く自分と云うものを検討してそこから、ね、庇素を検出しなければならない。自分の信心の内容をもう一遍改めてみなければならないと云うことになったわけです。ね、信心ちゃその様にしてね、私は進んで行くものだと思うです。心待にしとったのに夕べ何時までも帰りませんもん幹三郎。
 もう夕方遅う私はちょっとしましたらあの一人で暗い所でテレビを見よります。あら幹三郎です。ああ帰って来たなと思うてその時は何とも申しませんでしたし、夜の御祈念を終わらせて頂いて二階に上がって居りましたけれども、幹三郎を呼びましてね、今日はね、学校の先生から旅行の事についてこうこう云うてから電話が掛かってきたよ。それで僕はどげなふうにするか、旅行にそのどうもないならお父さんがお願いをするから絶対安心だぞと、だから行くなら行ってその代わりお父さんが。
 札入れてその先生に連れて行って頂くように言うがどうするかと言うたら、僕は旅行なんか問題じゃあないちゅうんです。行きたいとも思わんし、家の兄弟は豊美なんかでも丁度あの百年祭でしたから丁度あの京阪地区のでしたかね、旅行を止めてからあの御本部参拝させて頂いたんです。だから姉さんもそげんじゃったけんね、僕はどげなふうにするかと。僕はあの旅行はどうでもよいごとあるならば。
 お父さんの方が二十四日の夜から、あの人達は二十六日からだから二十六日の夜から二十六日は丁度土曜になるそうですから丁度日曜のことですから、二十五日にこうして御本部参拝をするからお父さんとお母さんと今度行くけん一緒に参らんかと言うたら僕はその方がよかとこう言うんです。有難いな、そんなら御本部参拝親子三人で出来るぞと言うて本人も喜んで二階に上がり、私ども夫婦もまあその積もりでですね、参らせて頂くことに致しましたがね、
 もうほんとにあの何と云うですかね、もう淡々としてサラサラとしてですね、ま、ひょっとするとこれは親子一緒に旅行でもするちゅう最後になるかも分からんとですよ、実際云うたら。ここで助かると云う確信を以ってのそうじゃないのですから。そこはそれはどうでもよいと云うのですから私の、考え方は。ね、けれどもね、そういう様にしてです、身に徳を受けて身凌ぎをするようになれと云うことはね、その様な事だと思うのです。誰にも頼らんでも済む信心、誰にでも頼らんで済む信心。
 私どもそういう信心を目指して行く。そして何かの時に心に動揺があったり心配があったり不安があったりする時にはです、貴方の心の中からいわゆる信心の毒になるもの、その庇素をですね、検出したらそれを取り除くことに精進して行くと云うことが信心だと云うことになります。ね、昨日から私もう控えに下がってからその床の間に飾ってあるお観音様をね、拝むわけじゃないけれども。
 もうその小さい子供がね。大きなお観音様に向かってこう合掌している姿を見るともう何かしらんけど胸がいっぱいになる。ね、だからほんとに縋られる精神、縋れる親、縋られるお父さんに、ね、安心して縋れれる私にいよいよならして頂かねばならないなと云ういわば心をいよいよ強うしておる様な訳でございます。今日頂きますようにね、「此方は参って尋ねる所がなかった。
 氏子はおかげを受けて遠路の所を参って来るが。信心して徳を受けてみしのぎをするようになれ。」だからここでは皆さんが遠路の所を参って来るが、ならこの様なぎりぎりの話、この様なもう私のぎりぎりの今日の信心、ね、それをなら皆さんよりいくらか私が進んでおるとするなら、私はこの様な話を皆さんに今日は聞いて頂いた訳なんです。毎朝の私の御理解は。
 そういう何時もぎりぎりのものなんです。だから私は皆さんに私のお話を私の遺言として聞いてくれと云う訳なんですよ。ね、また聞かれると云う話じゃないて。ね、その様にしてね、私は段々信心して徳を受けてと、信心してと云うことはそういう事だと思う。みしのぎをして、みしのぎが出来る程しのおかげを頂きたいものだと思いますね。
   どうぞ。